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イージス艦衝突問題と自衛隊の体質
2008年2月24日
宇佐美 保
2月19日早朝、千葉・房総半島沖で自衛隊のイージス艦「あたご」は、親子二人を乗せたマグロはえ縄漁船清徳丸に衝突しこの船体を真っ二つに割り、真冬の海に投げ出された二人の捜索がいまもって続いています。
なのに、この事故に関する自衛隊からの発表は、今まで通りの「自衛隊的」発表でしかありません。
「自衛隊的」発表とは、国民を自衛する為の隊ではなく、「自衛隊自らを自衛する隊」であり、又、「自衛隊幹部たちを自衛する為の隊」としての発表なのです。
従って、「自衛隊的」発表は、常に、「自衛隊を守る為の発表」であって、「自己の根本原因の究明のための発表」ではないのです。
しかし、今回の大事故が起こるべきして起こったことを裏付ける“横須賀海士長が残した「内部告発」”が 週刊文春(2008年2月7日号)に掲載されています。
先ずは、A2曹からのいじめを受ける池田海士長に関する記述の一部を引用させて頂きます。
〇六年に入ると、池田海士長を震え上がらせる出来事が起きた。 当直の際、彼は引き継いだレーダーの前に座った。 (画面を見ると、すさまじい量の海面反射が映っていた。あきらかにレーダーの調整ミスだ) 彼が調整しようとすると、A2曹の怒声が飛んだ。 「おい、何勝手にいじってんだよ! 直長に断れよ!」 これまでは調整しても何も言われることはなかったのに、理不尽な怒声である。 その後も当直の度にレーダーは異常状態になっていた。ある日のことだ。 (実習生が大島のビデオを指して、「これ、雲か何かですか?」と言った。「馬鹿、それは大島だよ」と答えたが、はっと気づいた。 大島にしては距離の割りに確かに映像の映りが薄いし、海面反射の映り方が微妙におかしかった。そこでセットコントロールを確認してみると、私は絶句した。 利得(※感度)は下げられ、STC(※感度時間調整)も弱められている。これでは探知距離が短くなるのも当然だった。そしてこれが何よりも意地悪なのは、この調整だとレーダーレピークー(※中継装置)を一見しただけでは、普段どおりの訴定と見分けがつかないことだ。「探知能力が落ちているのに、そのことに気づきにくい調整」になっているのだ。これは故意になされたものと判断する以外になかった。恐るべきことだった) 彼はレーダーの記録を詳細に取り始めた。そこにこんな記載がある。 (狂気の沙汰だ) 横須賀に帰港するため、千葉県の布良鼻南方を航行中、彼はワッチ(当直)に入った。小型船舶が多い海域である。その時、彼は愕然とした。レーダーには遠方の陸岸はよく映るが、近距離にいる小型船舶などが映りづらくなっている。しかも、そのことに気づきにくい調整だ。まるで衝突事故を起こさせるかのように仕組まれていたのだ。 彼は船務長や電測長に報告した。それでも、レーダーの異常は続いた。 〇六年六月、ついに彼は限界に達した。仲間がミスをして、A2曹に罵倒される姿を見て、こう言ったのだ。「あんな奴の言うことは何かなくてもいいぞ」。 激昂したA2曹は、彼に激しい暴行を加えた。大騒ぎとなり、かけつけた班長らに池田海士長は訴えた。 「もう証拠がないでは済まされません。警務隊を入れて、徹底的に訴査すべきです」 彼が都内の弁護士を訪ねたのはこの直後。艦内ではなく、総監部への訴査依頼を訴えたのだ。 現在、横須賀地方総監部は、池田海士長が送った調査依頼について受理したことは認めるが、調査の中身については、「本人に伝えてある」と答えるのみ。彼は半年後に発症し、その一年後には自殺したため、確認しようがない。 |
このA2曹による激しいいじめ(詳細は文末に改めて引用させて頂きます)と
「レーダーには遠方の陸岸はよく映るが、近距離にいる小型船舶などが映りづらくなっている」 |
とのレーダーの異常操作に関して命がけ(のちに自殺)で訴えた池田海士長の調査依頼を横須賀地方総監部が真摯に調査していたら、今回の事故は避けられたと誰もが思うのではないでしょうか?
しかし、自衛隊の体質では調査はされないのです。
なにしろ、自衛隊の上層部は、波風を立てずに自らの任期を全うして、素晴らしい職場へと「天下る」ことを夢見ているのでしょうから!
(武士道の風上に置けない人達のようです!)
2001年海上自衛隊による給油活動の際の護衛艦隊司令官で、03年1月から2年間、海上幕僚長を無事勤め上げた古庄幸−氏は、現在NTTデータ特別参与に天下っておられるようです。 |
そして、次のように語っておられます。
(朝日新聞2008年2月24日「給油再開から得られるものは」の記事中)
・・・対テロ戦に加わる各国は米フロリダ州タンパの米中央軍司令部に連絡幹部を派遣し、活動地域の脅威情報やテロ組織の情報を交換している。加われるのは、ともに血を流す覚悟をした国だけだ。日本が中東との貿易路にあたる海域の安全情報にアクセスできることが、どれほど重要な意味を持つかは自明だろう。・・・ しかし、今回の給油再開を手放しで喜ぶ気にはなれない。わが国や自衛隊の実力を考えれば、各国海軍と同じように、前線でのテロ阻止活動そのものに参加すべきではないか、との思いがあるからだ。日本はすでに91年、湾岸戦争後のペルシャ湾に掃海艇を派遣し、前線での活動を経験している。集団的自衛権の問題や武器使用基準といったハードルはあるが、政治が決断すれば超えられるはずだ。・・・ |
この元海上幕僚長の古庄幸−氏のように、“湾岸戦争後、日本はお金だけ出して軍隊を出さなかったから、クエートから感謝されなかった”との合言葉の下、
“日本は金だけでなく各国軍隊共に血を流すべきだ!” |
との風潮が蔓延っています。
若し私が自衛隊員であったら、こんな風潮、こんな発言を唾棄するでしょう。
だってそうでしょう!
こんな発言する人(国会議員、更に日本国民、天下った元自衛隊幹部なども)は、 「ともに血を流す覚悟をした国」と言うなら、 |
更に、このように理不尽な集団である自衛隊(勿論、軍隊も。特に、貧富の差が広がり貧しい階級の方々がより多く入隊する米軍など)が規律正しい集団であることを期待するも残念ながら理不尽であるわけです。
そして、他国民を敵と称する事によって、一般社会では決して許されることのない殺人が、賞賛されてしまう「理」の存在も不思議です。
そして、この理不尽を「国益」で正当化するのです。
ですから、元海上幕僚長の古庄幸−氏は次のようにも語っているのです。
・・・私は03年1月に海上幕僚長になり、最初の海外出張で給油活動に携わる海自の艦艇を訪ねた。部下の隊員たちに直接、「活動は米英の支援ではなく、日本の国益のためだ」と伝えたかったからだ。活動に反対する人は、明確な成果が出ていないというが、他国から信頼されて得られる国益こそが、最大の成果だ。・・・ |
このように古庄氏は“他国から信頼されて得られる国益こそが、最大の成果だ”と語っていますが、実際に悲惨な目にあっているアフガニスタンの国民はどうなのでしょうか!?
中村哲氏(医師・医療NGOぺシャワール会現地代表)は、
“日本政府は、民生一本に絞って支援をすべきだ。軍事プロセスとはいっさい手を切って、食糧・インフラ分野を中心に支援をすれば、国際貢献の場での日本のプレゼンスはとても大きくなるはずだ” |
と次のように語っておられます。
(朝日新聞の同じ記事中)
海上自衛隊によるインド洋での給油再開は、アフガニスタンの復興支援に携わる者として、非常に迷惑な話だ。 私たちはパキスタン北西部のペシャワルを拠点に、アフガニスタン東部で、医療と農村復興のための井戸塀りや用水路建設をしている。アフガニスタンでは00年以来、干ばつによる農地の砂漠化が進み続け、かつて100%近かった穀物自給率は今、30〜40%に届くかどうかという状況だ。農業国でありながら、餓死者や凍死者が絶えない。 ・・・人々の日本への親近感はまだ強い。日本は自分たちを助けてくれるが、悪さはしない、干渉もしないとみているからだ。私たちが潅漑を進め、水が戻った村には、多くの人々が帰ってきた。彼らは私たちを客人として遇し、命がけで守ってくれている。 日本が復興支援に多額の援助をしていることは、民衆レベルでも広く知られている。 一方、インド洋上での給油活動は、ほとんどの人が知らない。日本政府が洋上給油を国際貢献の象徴だと声高に叫べば、米軍と一体視され、対日感情の悪化につながる。それは、現地での復興支援活動を困難にするものだ。 ・・・ そもそも「テロとの戦い」というが、タリバーンは土着の国粋主義運動であり、パキスタン北西部とアフガニスタンを越えて、その影響が及ぶとは考えられない。欧米で大学教育を受けたアラブ系のエリートを中心とするアルカイダの世界イスラム主義とは、相いれない。アフガニスタンをテロの巣窟と言う認識には、ずれたものを感じる。 給油再開が決まって、アフガニスタンヘの関心が日本国内では薄れていると聞く。今までもそうだったが、日本が海外で軍事力を行使することの意味を、誰も真剣に受け止めていない気がする。現地では、落とされる爆弾で、多くの人が身近で死んでいる。 「米国の戦争」の一員として自分の国もかかわっているとなれば、穏やかではない。 日本政府は、民生一本に絞って支援をすべきだ。軍事プロセスとはいっさい手を切って、食糧・インフラ分野を中心に支援をすれば、国際貢献の場での日本のプレゼンスはとても大きくなるはずだ。 |
私は、この中村哲氏のご見解に全面的に賛成します。
しかし、自衛隊員の中には、古庄氏の「国益論」を支持する人も居られましょう、又、「国益」が正当化されるなら「自己益」も正当化されるべきと、自己の利益のみを追求される方も居られましょう。
更には、3食と寝場所を求めて入隊された方も居られましょう。
その上、自衛隊に絡む文官たちが(国益を口にしつつ)利権を漁っているような状態で、隊員の士気が向上して秩序が保てると言うのでしょうか?!
最近、NHKのテレビ放送で、第255世天台座主の渡邊恵進大僧正は、「仏教の真理」を次のように語っておられました。
己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり 全人類の為になることをしよう |
この大僧正の御言葉は「仏教の真理」と言うだけでなく「人間の真理」だと存じます。 |
そして、私達は、この言葉を心に叩き込む事によって、自衛隊の不祥事もいじめもなくなるでしょうし、更には、「テロとの戦い」などといううその世界も雲散霧消することと存じます。
「日本が品格ある国」そして、「日本人が品格ある国民」であるなら、 「普通の国」であってはならないのです。 |
ですから、もう一度中村哲氏のご見解ご見解を掲げさせていただきます
日本政府は、民生一本に絞って支援をすべきだ。 軍事プロセスとはいっさい手を切って、 食糧・インフラ分野を中心に支援をすれば、 国際貢献の場での日本のプレゼンスはとても大きくなるはずだ。 |
では、最後に、週刊文春(2008年2月7日号)に掲載されています “横須賀海士長が残した「内部告発」”のうちの池田海士長がA2曹から受けたイジメの実態が書かれている部分をも引用させて頂きます。
あまり報じられていないが、〇七年は自衛隊史上、最悪の一年といえる年だった。百人を超す自殺、そして暴行や脱走事件。特に、情報流出では各基地が警察の家宅捜索と事情聴取を繰り返し受け、警察による監視が徹底して強化された屈辱の一年〃であった。 一体、自衛隊の内側で何が起きているのか。吹き出す実態をレポートする。 護衛艦「さわぎり」事件 ――横須賀基地所属の池田智海士長(仮名・当時25)が殺人未遂の容疑で現行犯逮捕されたのは、昨年五月のことである。昨年一月から九州の実家で病気療養中だった池田海士長は、家の前を散歩していた男性の背中を、突然果物ナイフで刺してケガを負わせたのだ。 横須賀からすぐに幹部二人が飛んできたが、彼らの言葉に父親は首を傾げた。 「警察が家宅捜索をしている間、二人は私に『隊内でイジメはなかった』というような釈明をし始めた。なぜ、こんな時にそのような話になるのか意味がわかりませんでした。息子に関する悩みは、防衛省が自殺防止のために委託した電話相談のフリーダイヤルに電話するように助言されました」 池田海士長は病気のため判断能力がないとして、不起訴になった。父親が息子について回想する。 「口数は少ないが、いつもニコニコ笑っている子でした。二十歳の時に工業系の大学を中退して海上保安庁と海自の両方に合格したので、私は『海保の方がいいよ。自衛隊はイジメの自殺者が多いというじゃないか』と助言しました。しかし、本人は自衛隊への憧れが非常に強かったのです」 父親が懸念したイジメ自殺とは、九八年から翌年にかけて、連続して二件の自殺と二件の自殺未遂事件を起こした佐世保の護衛艦「さわぎり」のことである。 牢名主〃のような先輩が、曹候補士として入った若い三曹に対して、賭博や貢ぎ物の強要をするなど精神的に追いつめていた。その実態はすさみきったもので、「二十四時間、やられる」「帰りたくない」という言葉を残して若い隊員は自殺したのだ。 〇三年三月、池田海士長は入隊した。一年後、登山競技で入賞した時の写真を見ると、がっちりした大柄の彼が、坊主頭に鉢巻き、体操服姿で同期たちと肩を組み、笑顔を見せている。 その彼に異変が起きたのは入隊から四年後である。 〇七年一月、横須賀基地から九州の実家に、「息子さんの言動がおかしい」と連絡が入った。艦内でパソコンを壊したり、ドアを蹴破るなど、まるで人が変わったようになったという。 「統合失調症と診断されました。実家近くの病院に入院させ、投薬治療を始めたのですが、副作用で舌がもつれたり、歩行困難になったんです。それが辛くて、息子は勝手に薬をやめて、家に帰ってきた。顔つきは別人のようで、目はつり上がり、そして、フライパンで母親を激しく殴打するまでになったのです」(父親) 前述の傷害事件は、母親への暴力の直後に起きた。 幻聴に苦しんだ彼は、通行人の声を開いて、とっさに刺したのだ。 佐賀の医療施設へ強制入院させられた海士長は、次第に快復へと向かった。だが、事件から七カ月たった昨年十二月十四日、二人の男性看護師に付き添われて外出した際、行方不明になった。四時間四十五分後、佐賀から遠く離れた横須賀で私鉄に飛び込み、彼は命を絶ったのだった。 なぜ息子は精神を病んだのか。鍵はいくつかあった。 横須賀から駆けつけた幹部の「イジメはなかった」という言葉。入院中、自衛隊への復帰を望みながらも、「人間関係で悩みがある」と漏らした息子の言葉。 「上陸止め」で洗濯を強要 そして父親のもとに届いた厚い書類。息子が護衛艦「はたかぜ」で活動中に、自ら書いた書類である。艦内での言動がおかしくなる半年前、元気な頃に池田海士長は都内の法律相談会に赴いていた。〇六年六月、池田海士長は弁護士に宛ててこう書いている。 (我が社が隠蔽体質であることは一般の隊員でもよく知られています。したがって部隊の中の人間である艦長以下の幹部にこのような要望を出しても隠密に処理される可能性が否定できないので、上級の司令部に送付したいのです) 〇四年からの 「経過概要」。すでに船務長にも提出したこの記録を、今度は弁護士を通して横須賀地方総監部に送り、調査を要請していたのだ。 (平成十六年六月十六日、はたかぜ着任)という一文で始まる記録を見てみる。 (ベッド下の靴置き場から靴がはみ出ていた件でA2曹(※原文は実名)から咎められる。A2曹が言うには「三千円を俺のところへ持ってこい」ということだった) A2曹とは、池田海士長と同じ三段ベッドで生活する先輩である。最初は些細な嫌がらせだった。池田海士長の携帯電話を取り上げ、A2曹は上官へ「ハゲてますよね」「バカですね」とメールを送りつける。頻繁に罵声を浴びせられたりしたが、当時はまだイジメとは受け止めていなかったようだ。船務長面談で、「イジメはないか」と問われても、そのたびに彼は「ありません」と答えている。 レーダーを扱う電測員の池田海士長は、CIC(戦闘指揮所)が仕事場である。 コンソールの前で仕事をしていると、時々、副長が後ろから肩をぽんと叩き、「大丈夫か、池田。いじめられてるんだってな」と声をかけてきた。雰囲気の悪さを、上官が気にしたのだろう。上官がCICの電測長らを皮肉っぽく批判するシーンを、彼は書いている。 (前の艦長はなぜかCICのことを「やる気のないCIC」と言っていた。実際にCICに入ってきて開口一番、「は〜、ここがやる気のないCICか」と言ったりもした。電測長のいる目の前で、「いやー、CICは若いのが働くねー」などと言った) そのうち、A2曹は池田海士長に、「上陸止め」を濫用しだした。船から降ろさない処分で、「ずっと船の中で缶詰になるのだから、どんな懲罰よりも精神的に最もきつい」(関係者)と言われるものだ。 A2曹は彼を上陸止めにしては、自分の作業着の洗濯を命じた。上陸止めの理由は、言いがかりに近いものだった。たとえば、上司から命じられて「秘密書類」(暗号コード)を扱おうとすると、A2曹が「勝手に触った」と騒いで殴る。 そして、処分として「上陸止め」を言い渡すのだ。 先輩が憂さ晴らしのため後輩をいじめるのはどの世界にもあることだが、二十四時間生活をともにする艦内では陰湿さを増した。 池田海士長は先任伍長との面接で、度重なるA2曹の理不尽な行為を訴えた。 「それは親心による指導だよ」と相手にされなかったが、このやり取りを知って喜んだのは他の海士である。「A2曹のことを喋ったんですね」と言って、彼の行為は噂になった。 嫌がらせや盗難事件が頻発したのはその直後からだ。池田海士長の歯磨き粉に異物が混入されたり、短靴や支給品であるベルト、シーツ、枕カバー、作業着、訓練ファイル、上陸札がなくなった。 「俺のことをチクった奴がいるぞ。奴をやってやる」と、A2曹が周囲に言い放ったため、彼はA2曹の仕業と疑ったが証拠がない。 典型的なチンピラがいる 〇六年に入ると、池田海士長を震え上がらせる出来事が起きた。 当直の際、彼は引き継いだレーダーの前に座った。 (画面を見ると、すさまじい量の海面反射が映っていた。あきらかにレーダーの調整ミスだ) 彼が調整しようとすると、A2曹の怒声が飛んだ。 「おい、何勝手にいじってんだよ! 直長に断れよ!」 これまでは調整しても何も言われることはなかったのに、理不尽な怒声である。 その後も当直の度にレーダーは異常状態になっていた。ある日のことだ。 (実習生が大島のビデオを指して、「これ、雲か何かですか?」と言った。「馬鹿、それは大島だよ」と答えたが、はっと気づいた。 大島にしては距離の割りに確かに映像の映りが薄いし、海面反射の映り方が微妙におかしかった。そこでセットコントロールを確認してみると、私は絶句した。 利得(※感度)は下げられ、STC(※感度時間調整)も弱められている。これでは探知距離が短くなるのも当然だった。そしてこれが何よりも意地悪なのは、この調整だとレーダーレピークー(※中継装置)を一見しただけでは、普段どおりの訴定と見分けがつかないことだ。「探知能力が落ちているのに、そのことに気づきにくい調整」になっているのだ。これは故意になされたものと判断する以外になかった。恐るべきことだった) 彼はレーダーの記録を詳細に取り始めた。そこにこんな記載がある。 (狂気の沙汰だ) 横須賀に帰港するため、千葉県の布良鼻南方を航行中、彼はワッチ(当直)に入った。小型船舶が多い海域である。その時、彼は愕然とした。レーダーには遠方の陸岸はよく映るが、近距離にいる小型船舶などが映りづらくなっている。しかも、そのことに気づきにくい調整だ。まるで衝突事故を起こさせるかのように仕組まれていたのだ。 彼は船務長や電測長に報告した。それでも、レーダーの異常は続いた。 〇六年六月、ついに彼は限界に達した。仲間がミスをして、A2曹に罵倒される姿を見て、こう言ったのだ。「あんな奴の言うことは何かなくてもいいぞ」。 激昂したA2曹は、彼に激しい暴行を加えた。大騒ぎとなり、かけつけた班長らに池田海士長は訴えた。 「もう証拠がないでは済まされません。警務隊を入れて、徹底的に訴査すべきです」 彼が都内の弁護士を訪ねたのはこの直後。艦内ではなく、総監部への訴査依頼を訴えたのだ。 現在、横須賀地方総監部は、池田海士長が送った訴査依頼について受理したことは認めるが、調査の中身については、「本人に伝えてある」と答えるのみ。彼は半年後に発症し、その一年後には自殺したため、確認しようがない。 |
「統合失調症」が池田海士長の自殺の直接的原因と自衛隊は処理したのかもしれませんが、池田海士長はA2曹によるイジメ(強いストレス)によって「統合失調症」を発症させてしまったのでしょうから、自殺の直接的原因は、A2曹によるイジメと自衛隊は認識すべきです。
ここまでは、池田海士長に対するA2曹によるイジメの記述ですが、イジメはこの件だけではなく次のようにも書かれています。
実は、池田海士長が調査依頼を訴えた時、総監部は別の問題を抱えていた。 同じ横須賀基地の護衛艦「たちかぜ」の電測員が〇四年に自殺した事件で、遺族が国と元隊員を相手に損害賠償請求裁判を起こし、審理が始まったのだ。 電車に飛び込んで亡くなった電測点(当時21)は、池田海士長と同じ〇三年入隊。彼は先輩隊員から暴行や恐喝を受けていた。 加害者はCIC内でガス銃を使い、電測員らを標的にしたサバイバルゲームを行い、またアダルト画像が入ったCDを計十五万円で売りつけた。パンチパーマを強要して従わないと、BB弾約五十発の的にするなど、やりたい放題。サングラスにネックレスという格好で、暴力団員との付き合いを吹聴する先輩隊員の恐喝を、被害者は手帳に「悪徳商法のようなことをやりやがって」と書き残していた。遺族が話す。 「息子は高校を卒業後、カナダに留学し、そこでのボランティア体験から『自衛隊で災害援助をやりたい』と話していました。海上自衛隊で国の役に立ちたいと言って入隊したのに、一年半ももたなかったのです」 〇四年十月の自殺直後、両親は警務隊から「原因は借金です」と聞かされた。 ところが、実際は違った。 「息子が駅のホームで自殺した時、たまたま遺品のリュックを保管したのが警察だったのです。警察が『まずは遺族の方に』と言って、中に入っていた手帳や遺書を見せてくれました。 それで暴行や恐喝の実態が判明したのです」(父親) 私的制裁や陰湿な暴行が原因で自殺したと思われるのに、「不明」と処理される背景には、自衛隊が体裁を守ろうとするばかりに隠蔽している疑いがある。 前述した佐世保の「さわぎり」では、遺族のもとになかなか遺留品が戻ってこなかった。「さわぎり」事件の遺族が振り返る。 「息子のバイクのキーや手帳が戻ってきたのは、初七日の日です。分隊長は『班長がロッカーを開けて、持っていった』と言っていました。持ち去った手帳をみんなで見たそうです。戻った手帳は、四ページ分が破りとられていました」 こうした不透明な経緯の後、どの事件も自衛隊側は、「イジメと自殺は関係ない」という最終報告を出す。 自衛隊側の姿勢に、二人の部下を自殺で亡くした元航空自衛隊幹部は憤る。 「大半はまじめに勤務しているが、典型的なチンピラがいるのも事実だ。本来なら部隊長が、部下同士の関係をしっかり見ていないといけない。 自衛隊の戦力は戦闘機や艦隊ではない。一人一人の隊員です。自殺で貴重な戦力を失っている事実を、幹部は自覚しなければならないんです」 |
戦車や戦闘機のプラモデルの収集が趣味の大臣が、莫大な税金を使って軍備を整えた所で、それらはプラモデル同様の価値しかないのでしょう。
(しかし、プラモデル同様に飾っておくだけなら立派な価値ともいえますが!)
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